句評 村野 太虚
花辛夷思いの丈を吐き出しぬ 穭
荒花辛夷、、、、早春、葉に先立ち芳香ある白色六弁の大花を開く。長きにわたった冬の鬱屈を一気に吐き出すようだ。
桜
桜は花王といわれる。花といえば桜のことであり国花である。万朶の花の散り際のあわただしさがことに哀惜される。桜にまつわる季語はかぎりがない。
桜餅たづねて古き子規の恋 太虚
子規は若年のむかし桜餅の元祖である長命寺門前の山本桜餅店の娘に恋をしていた。花の時期そこをたづねたのである。桜餅は市販のものと違う風格のあるものだった。窓口におばあさんが座っていた。品のいいひとだった。作者はあえて時空を越えた質問をした。<あなたが子規が恋した娘さんなのですか><ウッ ホッ、ホッ、ホ> おばあさんは答えた。<私ではありません。でも綺麗なかたでしたよ、、>
遅桜読めない手紙の夢をみる 文福
読めない手紙とはどんな手紙だろう?禁じられた手紙?不倫?エチオピア語?古文書?・・遅桜はいろんな想像をかきたてさせる。
薄紅のやがて葉桜並木道 露徒
私の住む三鷹通りにも並木道がある。豪壮な黒幹が数百メートルつづき薄紅の豪華な花のトンネルがつづく。そしていつか葉桜となり今は若葉まっさいちゅうの並木通りである。葉桜となる時期の空虚感がうたわれている。
さくら散り風に舞う空花吹雪 小鰤
時系列的にはその通りですが俳句は時間の流れをうたうのではないことが段々わかります。でも段々よくなりました。
見納めとばかりか母の目に桜 秋休
枝影に啼く声染めし桜雨 耕泉
花吹雪カップに一片法隆寺 風水
法隆寺の茶店で一服していた。ビールで乾杯していたのかもしれない。花吹雪が舞いひとひらがカップに舞いこんできた。やはり<法隆寺>がいい。
花吹雪海軍カレーとゼロ戦と 五郎
場所は千鳥ヶ淵、そして靖国神社の遊就館に違いない。なぜなら遊就館にはゼロ戦が置いてある。そしてここのレストランには東郷元帥以来の海軍カレーがだされている。<花吹雪>はつきすぎだから<葉桜>がいいかもしれない。
ここにいるわたしはここに落椿 文福
椿は桜の花びらのようにハラハラと散ったりはしない。首ごとまるごとストンと落ちる。生首のように。そして叫ぶ。<ここにいるではないか。私はホラここに> 椿は主張する。掲句のひらがなの12文字が秀逸。桜は散る。椿は落ちる。シャクヤクはくづれる。梅はこぼれる。