これが皆最後の恋か蝉しぐれ 文福
暗黒の地下に潜む時間に比べて恋の季節はあまりに短い。ここを先途と鳴く恋の蝉達。
<石(いわ)走る滝もとどろに鳴く蝉の声をし聞けばみやこし思ほゆ。大石蓑磨 万葉集巻>
声もとどろに鳴く蝉を俳句は(最後の恋)とワンショットで捉える。
今月の俳句にチャレンジは当然に<蝉>の句が多かった。
抜け殻をおいて旅たつ蝉しぐれ トンボ セミの声風鈴と競う夏の音 些事
忙しなく梅雨明け告げる蝉の声 大豆 古井戸や不老の水湧く蝉しぐれ 五幸
忙しなく、は、せわしなくか。 <不老の水>と<蝉しぐれ>のとりあわせは永遠を感じる。
蝉といえばなんといっても 閑かさや岩にしみ入る蝉の声 芭蕉の句が<蝉の句の最高峰>である(健吉)
頓て死ぬ気配はみえず蝉の声 芭蕉
然しまた異形の蝉達もいた。
唖蝉をつつき落として雀飛ぶ 鬼城
聞くうちに蝉は頭蓋の内に居る 梵
喀血にみじろぎもせず夜蝉鳴く 木歩
八方に蝉シャ―シャ―と模擬試験 猛
油蝉死せり夕日へ両手つき 眸
蝉時雨は<多くの蝉がいっせいに鳴きだすと,肺然と驟雨が到ったような感じがするので蝉時雨といっている 健吉>
空蝉<「うつせみ」という語の源義は,この世に生きている人、また現世、人の世ということだった。しかしこれを漢字にあてるに際し、虚蝉、空蝉などと表記したため、そこから蝉のぬけがらという意味にもつかわれるようになった。私はそのように理解している。そういう由来のためか、蝉のぬけがらのあの背中がぱっくり割れている形からくる感じもくわわってか多くの「空蝉」の句には現世の虚しさの思いを蝉の抜け殻に託して風詠する傾向があるように見える。(大岡信)>
空蝉やひるがえる葉にとりついて 素十
岩に爪たてて空蝉泥まみれ 三鬼