第26回 2010年11月
総評
俳句に禁じ手があり、季重なり、字余り、字たらず、句またがり、切れ字の重なり、などなどあるが無論絶対のものではない。句会へでると「季重なり!」などと叫んで、あいかたから鬼の首をとったように指摘して得意の人もいる。<季重なり>は森川許六が <一句に季節を二つ用うること、初心が成りがたきことなり>と言って、「一句の中に二つの季語があると初心者は失敗することが多いですよ」と親切に注意しているだけのことで、別に俳句の神さまがきめたわけでもない。
「長い間の俳句表現史の中で体験談として俳人が語ってきた隻語がいつかおぼろげながら禁じ手らしいものになってきたに過ぎない」
<季重なり>を指摘して得意の人をみるとほほえましくなるが、下記の春夏の句は惑わされず、春、夏の語をうまく使いこなして季語<照葉>の題詠がうまく詠われている例。
オリオン座
春夏を重ねて今日の照葉かな 露徒
照葉=(紅葉して)美しく照り輝く草木の葉。
春をすぎ夏も重ねてはるばる今、照り輝くもみじとして眼前にあるのだなあ。美しい紅葉に対する詠嘆と感懐。今年の気温差の波幅はまた格別だった。
捨て鉢を終の棲家に草紅葉 文福
これはすごいことになった。でも草紅葉と捨て鉢がよくあっている。弾むリズムがいい。力強い。これくらい開きなおれば世の中怖いものはない。健康な精神は健康な肉体をつくる。その逆はない。捨て鉢ながらそこで生を営み、枯れていく小さな草紅葉が愛おしい。
提案座
<ごちそうをみんなで囲む秋祭>
かわいいですね。すなおで好感がもてます。<<神様もごちそう囲む秋祭>>神棚の神様も辛抱しきれなくなってそっとじぶんから御膳に参加しました。
<初めての化粧嬉しき七五三>
七五三の初めての<うれしき>を別の言い方で表現するなら<<おてんぱが鏡はなさぬ七五三>>はどうでしょう。