第30回 2011年3月
超大地震と福島原発。ただただ痛ましい犠牲者の冥福と原発の復旧を祈るのみです。
でも地震も自然現象なら小鳥が囀るのも自然現象。いつかは被害者のかたがたも復興されて<囀り>に心癒される日もくるでしょう。
さて今月は投句のなかから<囀り>の句をとりあげます。
チ―チ―とことりさえずる春の空
チーチーという素直な擬音をつかって春のよろこびを詠っています。とてもかわいらしい好感のもてる句です。でも俳句としては少しものたりないと感じる人もいるのでないでしょうか。それは何故かというと,一句に作者の貌がよく見えないからです。作者はどこにいるのか。例えば今月の優秀句<大寒や拳を握り出勤す>の場合、大寒の朝に握りしめた拳を出すことで作者の貌がナマナマと見えてきます。息づく作者、左近さんそのものが存在するのです。
石田破郷は「一句の主役はいつも自分である」といっています。自分ほど大切でいとほしいものはありません。おのれがどう生に関わっているのか。ここが書かれている句はホリが深くなります。
チ―チ―も自分なりの擬音をみつけ、ことり、春の空、囀り と三つの季語を一つに省略して生まれた空白に、そこにあった筈のモノ(拳や耳だけがモノではありません)に語らせる工夫をしてみてください。
投句の手直しを宗匠はよくやります。でも本当いえば、その時その場で作者本人が感得したものは誰にもわかる筈のないものなので、上手く手直ししたようでも、どこか違ったものになる筈です。矢張り名句といわれるものを読んで、何かを<感じる>のが一番。 そこで囀り数百句のうち(これくらい皆が自分を囀っています)私の好きな数句をあげて みます。
囀りをこぼさじと抱く大樹かな 立子
囀りに独(ひとり)起出るや泊客 召波
囀りに鳥は出はてて残る雪 北枝
囀りやピアノの上の薄埃 元
囀りや母となりたる妻ねむる ひさお
秀句三選
入選七句