句評
帰り路のネオンに染まる月見草 些事
月見草。どこかで見た!・・といいたいところだが意識してみたことがない。
東京のどこかの園芸室へでかけてみてみよう。写真でみると撮り方にもよるがほんとうに<月のしずくを吸って咲く>花 である。
<月見草>というとすぐどこかから声がとんできて<待宵草>とは違うんだぞ!と聞きもしないのに叱られる感じがある。やはり太宰治の冨嶽百景の<冨士には月見草がよく似合ふ>からくるのだろう。
植物学者の湯浅浩二氏が「花をりをり」に<冨嶽百景の月見草はマツヨイグサの類と間違えたものだ>と断定的に書いている。<黄金色の月見草、金剛力ともいいたい位>と太宰は書いているが月見草は第一白い花である。夕方開花し翌朝しぼむ。よわよわしい上品な花。月を見るのだから当然夜咲く。(御坂峠の茶屋から河口湖畔の郵便局へ、バスの途中、だから見たのは日中である)というのである。
待宵草、大待宵草を俗に月見草と呼んでいる。黄色の四弁花である。繁殖力強く、河原、空き地などに野生化した。月見草は丈夫でないため野性化することなく今日ではほとんど
みることはなくなったと(日本大歳時記)にある。
些事さんは会社がひけて客筋か同僚かとネオンの街へくりだした。帰り路のどこかで清楚な白い花を見つけた。<染まる>のだからほんものの月見草である。でも、ネオンのなか、<白>から薄紅にそまってゆく可憐なひとをみたのかもしれない。
<冨士には月見草がよく似あふ>の言葉は太宰治によく似あふ。筆者の棲む近くに太宰の玉川がある。たまに文学老年がきて沈んだ顔で佇んでいるのがおかしい。
<冨士山に月見草がよく似あふ>と5・7・5にリズムをかえてチャレンジにだしてもボツ。野村元監督の月見草は論外。ヒルザキツキミソウも論外。