句評 村野 太虚
七節虫や月光浴びて湯屋の中 露徒
七節虫(ななふし)、ナナ虫 体長7~10センチ。体、脚は細長く竹の枝に似て緑色、または褐色。翅はない。擬態が得意で木目にかくれていたのが月の光に誘われて湯屋へ。風雅なナナ虫君。<七節虫の困りはてたる枝となり 渚>
紅葉
落葉樹は晩秋の寒冷に逢うと紅葉しまたは黄葉して凋落する。普通紅葉は楓をいうがその他にもいい漆紅葉、櫨紅葉などとくに美しいものを名木紅葉として一括している。もろもろの木の紅葉を雑木紅葉という。
色筆を透かして見るは草紅葉 五幸
旅ごころそそる紅葉のカレンダー 緑河
雨に雨色葉の粒や街灯り 耕泉
暑さ過ぎ待ち遠しくなる紅葉かな 蟻
とてもかわいい句です。暑さがすぎたら紅葉に待ちこがれる。その通りでよくわかりますが、1句にするときはあまり当たり前のことを詠んでいても<アアそうですか・・・>と読みすごされるおそれがあります。俳句は詠むのではあるけれどヒネルものでもあります。読み手が立ち止まってくれねばなりません。
たとえば今週の穭(ひつじ)さんの句は<稲妻や君独りらし古時計>とあります。まず上5の季語が中7下5の内容とおもいっきり離して配合されています。季語は離して置かれるほど1句は立体化し深みが増します。でも離れすぎてキレてしまっては句になりません。<稲妻>はしっかり中下と響いています。ですから読み手に想像の余地を充分のこします。読み手がなにもかも言い過ぎてはいけません。詠み手と読み手がひとつとなって1句は完成します。季語の配合だけでなくチャレンジの先輩の句をみているといろいろな工夫をして詠み手の感動を読み人に伝えようと努力されているのがわかります。
まんじゅしゃげ心も紅く染めにけり 大雅
ほんのりと紅さすほほづき誰のため ろんど
秋潮や声のつぶれし船のおさ 五郎
細腰の乙女みちゆく二日月 露徒
マンジュシャゲ褪せて魔力の消えにけり 文福
曼樹沙華もしおれてマンジュシャゲとなるとなにか西欧風の魔女の感じも。渾名の多い花でご存じ地獄花、死人花、キツネ花 など、、。