句評 村野 太虚
蕗の薹水音のなか登場す 露徒
蕗の薹は最初に春を告げる使者。冬眠から目覚めた熊が真っ先にたべるのが蕗の薹。熊は蕗味噌や蕗の薹を天麩羅にして食べることはしらないが蕗の薹のミネラルやなにや春の恵みをふんだんに食べて、まず春に挨拶する。蕗は水多く風弱きあたりに繁茂する。<水音のなか登場す>はみずみずしい表現。
春
春にはもののときめく明るい響きがあるが暦法の上では立春(2月4日ごろ)から立夏(5月6日ごろ)の前日までを指す。気象学上は3,4,5の3カ月を春と定めているが、一般には2月末 枯れ草にわずかな新芽が萌え始める4月末までの印象だろう。ただし陰暦では1、2、3月が春。(龍太)
<先ゆくも帰りも我も春の人 白雄>
春さかり山門に人のまれゆく 花水木
山門に人のまれゆく春の景の気分がつたわります。でも<さかり>は<勢いがさかんなこと、栄えているさま>ですから<春闌けて>ぐらいがよいのでは。
春近し薄着作業も息白し 拶木
薄着で作業をできるほどになって春も近いという感じはわかります。でも<息白し>は12月ごろ、真冬の感覚ですから一工夫あるべきでしょう。
春隣り幻みたかみぞれ降り 庭滋
春隣ほどの気侯なのにまだ霙が降ってまるで幻をみているようだ、という気持ちのようですが季語を事物として使うのは一工夫ですね。
風花や空のたよりをのせて舞う 山桜
お年玉せがまれ財布軽くなる 蟻
そうではありましょうが、、、。
年玉をならべておくや枕元 子規
年玉に傾城の香のうつりけり 青青
お年玉ちらと見比べ姉いもと きりを
御空晴れ男がうかぶ出初式 五郎
カッコいい男たちが浮かんでいます。
生け花や丈を縮めて小正月 文福
元日を中心とした正月(大正月)に対し15日を小正月といい、古くはここまでを松の内とした。松の内まで忙しく働いてくれた主婦をねぎらう意味で女正月ともいった。松の内に飾ってあった生け花をチョんンと伐って小正月にいけなおした、という風姿はなんとも自然の流れでありながら、えもいえぬおかしみがある