総 評
第3回グランプリ受賞句と受賞者、準グランプリ、審査員特別賞、 年間入選句がきまりました。年々歳々、その質が深まり裾野が広がって<俳句>がエクステリア界に定着してきたことはほんとうに嬉しいことであります。さて、平成23年度は地震に明け原発に暮れた年でした。(中略)俳句のほうでも震災原発俳句は全国にそれこそ大波のように溢れひろがりました。でも、そのほんどはその主観の先行、動哭、あまりの激情のため句にならないものが多かったと思います。(中略)老練の利涼さんの<震災や和魂を呼びて桜咲く>を除いて、チャレンジの皆さん、花鳥風月、日々の生の充実を淡々と謳われています。やはりあまりに激情を揺さぶるものは時間をおいて、かつ怜徹な自己抑制のもとで謳わないと句になりにくいわけであります。
さてグランプリ受賞句
声高に原発の話草むしり 左近
原発というこの恐竜のような凶々しいものを俳句という鞭1本で草むしりという日常のなかにやすやすと飼いならし取り込んでいます。草むしりは御婆さんたちでしょうか。でもあくまで日常が主体で原発は事柄なのです。<草むしり>という季語季題が主で、御婆さんたちの日常のなかに<原発の話>が生き生きと語られています。
「声高に」ですから、カン高い調子で語られておりどんな話の内容かは瞭然です。冷徹な自己抑制をきかせてカイブツの描写がされています。一見時事俳句にみえてそれを越えています。激情に抑制をきかせて事物を客観的にみるほど声高の内容が外へつたわります。
左近さんには<向こうから妻も西瓜を提げ来たる>の句がありました。「この自然体のおかしさをどう評言すべきか」と選句コメントに書いています。さわるとこわれる。この素朴なおかしさはそのままうけとればいい。
去年のグランプリ句が奈良のこころさんの<ぽんと打ちひとり頷く西瓜かな>でした。どうしてチャレンジはこう西瓜なのでしょう。<赤子泣く声たのもしき炎暑かな 左近>鍾鬼のように真っ赤なかおで元気よく泣く赤子の声が信州からつたわります。
準グランプリ賞
年の瀬は口や顎まで手となりぬ こころ
「年の瀬はいそがしい。口八丁手八丁でも足りない。顎まで使われる。顎で指図する。顎だけで済まされる人もいる」と選句コメントで書いていましたが、顎で指図されて走りまわっている人を想像するだけで愉しい。ソレ、とかアレとか示す顎の方向をみて飛んでゆくのである。「年の瀬」の季語までこころさんに顎で使われている。
こころさんには<左手に賀状右手に徳利持ち><松一本ただ一本に春の月><犬と父鼻息あたる昼寝かな><葉桜や雨宿りにも日除けにも><カレンダーあと三枚と虫が言う>などなどがある。賀状を左手にもち右手でグイグイやっているこころさんは愉しい。
準グランプリ賞
風に乗る勇気をだせば春動く 些事
駿英です。「風に乗る」は早春の息吹である。じっとしていてはだめだ。自分から動きだそう。動き出せば風もはこんでくれる。景色が一気にひろがり春がつつんでくれる。早春の若若しい感性。
<彩りに後から気づく春の雨>という句もありました。「彩りに」は春の雨のあとの万象のみずみずしいひろがり。はっと気付くうつくしさ。若い感性の句。<夜空舞う花火の影に恋心 些事>
審査員特別賞
ほんにまあおとろしとこや牡丹鍋 緑舟
選句コメント「トンボリあたりの猪鍋屋はんですかいな。味噌味もこっとりと牡丹鍋の雰囲気がようでてますなあ。」緑舟さんは学識で、<墓洗ふ島葉しばし醒むるまで >がある。島葉には選者も苦労した。能(ノー)の話と電話で聞こえたのでなにか縁語があるかと思ってしらべたが、脳の話だった。大脳半球は前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉、島葉から成りたつ。海馬の近くに存在する。ご先祖さまの墓をあらっているうち生れぬ前の遠い昔の記憶が蒙朧とうかんできて蒙朧と醒めていったらしい。
他に<木蓮忌顎に残りし骨の味>(*木蓮忌は内田百閒の忌日)<涙骨に寒さを残し朝のかゆ><春闌けて未明の家に飯が噴く><蛍火の如くかの夜の母の腕><やりくりが辛子をきかす晦日蕎麦><猫と妻家出二刻秋の暮><梅の闇昔巡礼五人消ゆ>
秀句3選(22年10月~23年9月)