第33回 2011年6月

総評

多々良川都忘れの古戦場 利涼

 建武3年(1336)足利尊氏と菊池武敏とが多々良川を挟んで合戦した。「北肥戦誌」によれば尊氏は芦屋津(あしやのつ)に上陸し白山城に入った。宗像大社(神宝館)に尊氏の奉納した甲冑が今ものこっていて、それが意外にこぶりなものらしい。肥後国の菊池武敏は山城を落とし勢いにのって筥崎へすすんだ。そして3月2日、多々良浜合戦。尊氏が香推宮(かしいぐう)にのぼってみると菊池勢は意外と大軍であった。

 いっそ自害しようとした尊氏を弟直義が諌め多々良川へ向かった(太平記)尊氏は右岸の高地に陣取り、菊池軍は川をはさんで對陣。乱戦となり圧倒的な菊池勢に潰されそうになったが、おりからの砂塵逆風と菊池の武将の寝返りで救われた。尊氏はつねに大軍で相手を圧倒してきたような感じを持ちがちだがそうではない。紙ひとえで歴史は変わっているのである。勝って勢いがつけば軍勢があつまり、この一戦で勢いをつくった尊氏はこのあと湊川合戦で楠正成を破って室町幕府を開くのである。

 現在{流通センター西口}の近くに多々良川合戦を祀り「兜塚」がひっそりと存在する。 都忘れもひっそりと咲いているのであろう。

 都忘れは初夏~晩春に咲く野春菊のことである。紫色の小菊のような花をつける。ミヤマヨメナが培養された。丈は30センチ位。枝多くわかれ花も多い。
  紫の厚きを都忘れとて  夜半
  都忘れふるさと捨ててより久し  芳次郎
  都忘れ夜はむらさきの沈みけり  桜子
  人恋し都忘れが庭に咲き     淡路女

 掲句 多々良川都忘れの古戦場 利涼 は利涼さんお住まいの博多地元の風景であり歴史の懐古である。いまや流通センターやガスタンクや橋梁などで埋め尽くされているであろう中、歴史を偲べばそのなかにひらけてくる古里にたいする思いと愛情が伝わってくる。京のみやこを中心に南北朝戦乱の渦のなか尊氏や後醍醐天皇、北畠、新田、楠の諸将のおもかげも遠景にひろがる雄大な句。季語 都忘れが情感とふくらみをもって群像の思いをつたえてくる。

秀句三選

入選七句

*訂正とお詫び
 5月31日号の秀句、山法師さんの「つんつんと土筆槍持ち並び炒ゐる」は、正しくは「つんつんと土筆槍持ち並びゐる」です。訂正してお詫びいたします。

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